現代のペアリング:むかしのペアルック

むかしのペアルックのはずかしい習慣は現代ではまるっきり消え去ったと言っていいのに、現代ではまだペアリングといって、お揃いのかたち、お揃いの色、お揃いの素材で結婚指輪を着けてしまったりする風習がいまだに残っているのはどうしてなのでしょうか。

 

よく考えてみたらペアリングというお揃いはおそろしいものがありませんか。

私と一緒じゃなければいやという花嫁さまが新郎さまにせまるのでしょうか、それともおまえはおれと同じ指輪をしていなさいとご主人様がおっしゃるのでしょうか。

好みがちがって当たり前ですし、違う服を着るのがあたりまえです。機能も違う、体形だって違うのです。一緒じゃないのがあたりまえ、みなさん個性があるのに、結婚指輪だけはお揃い、それは他人にこのカップルがペア、このふたりはファミリーですと知らせるためのものだというのでしょうか。

お互いの気持ちでそういう祈念を見えるようにしてるのが結婚指輪であって、他人に既婚者とわからせるためのしるしではないと思うのです。

ジュエリーと服装の選び方

アイリス アプフェル というファッションアイコン

どういうときにどういう服装を選ぶか、周りのひとと似たようなかっこう、つまりひとり突出してしまわないように、共感をえられるようなスタイルを選ぶとき、それからそういった周囲への配慮をいっさい必要ないときの服装。ひとはいろいろな場面で好きな服装をしているようで、実はきちんとTPOを考えてふるまっているのだと思います。

指輪の選び方も、普段どこでつけるのか、それによって周囲の眼がきになるなら、突出してしまわないリングを選んだり、ときには目立ちたいとか、仕事にそうした制約がいっさいない業種ならおもいきり自分流を誇示したいとか、そういった観点から結婚指輪も選ばれているようです。

化粧の意味 衣服の意味

顔がアイデンティテイだというけれど、あそこまでクリームを塗りたくって粉をはたき、素肌の色も毛穴も消し去りキャンバス状態にさせ、毛をそり、筆で線をひき、眼をふちどりまつ毛を盛る。そうした行為も衣服に身を包む行為もいったいだれのためでしょう。ひとのためにファッションがあるのではないとするならだれのため?無人島に住むひとは花など飾ろうともしないしそれを育てようともしない。ひとのこころにもともと花が美しいという感覚などなく、それは文化のなかで刷り込まれてそう感じるように慣らされていったということでは?

ファッションと新しい自分

ふつうの自分とか今とか、新しい自分とか、いつもと違う自分って言ったって、しょせん自分はひとりしかいないではないですか。

ファッション誌にいつもと違う自分の演出みたいなことばが並んでいるけれど、いつもの自分じゃないみたいな素敵な自分とかおしゃれする気分で変身とか。結局それも自分なわけだけれど、これは誰というそのだれというイメージっていうのは誰が決めるのか?

やっぱり自分の外見とか印象をコントロールするのは自分ではあっても、それをどう受け取るかはひと、他人なわけです。そして自分のなかで、ほんとうは私はこんなひとと思っているだけではだめで、それを外にあらわして、他者にわかっていただかなくてはならないわけです。そうすると、まず第一印象を判断するのは服装とか趣味とかセンスとかみだしなみなわけで、それがひとの印象を一番左右する外皮なんですね。ファッションはひと。ひとの皮なんです。一番最初に見える。

だからそれさえ着替えればあたかも中身までが変わったかのように受け取られるし変身できればそうふるまっていい許可を外から与えられることになります。ワイルドな活発な女性の恰好していれば、ハイヒールで闊歩できるし、ひきずった古着で選択を一度もしていないようなダメージ服であればそういう印象になる。だれもが自分のカテゴリーをわかっていて、それにふさわしい衣装をまとっているのだと思います。

結婚指輪も。

指輪のサイズの測り方

指輪の号数を知るにはまず指輪のためのサイズゲージを使って指の太さを知ることから始まります。測り方を知らないで適当にはめて号数をみても、ほんとうに快適なサイズを測れているかどうか。着けてみてちょうどよいという状態とはどのようなものでしょうか?